2010.12.29

ベトナム初日 美味しかったベトナム料理

11月21日 成田9:30発 ベトナム航空 

→ ホーチミン14:10着(時差+2時間

ホーチミンの中心地と言えるところあるコンチネンタルホテルに宿泊、Photo_2
パリの面影を存分に残すサイゴンの代表的なコロニアル建築物で向かいには市民劇場がある。Photo_3 ホーチミン最大の繁華街であるドンコイ通りに沿ってあるこの劇場は、正面には天使像、見られなかったが内部には色彩豊かな壁画があるとのこと。フランスの街路計画にのっとって建てられたもので、バロック

Photo_5建築であって、フランス人は夜毎ドレスアップして訪れたそうである。 たまたま、ここで大学の卒業式が行われていた。 大学生もドレスアップしてかブルーに赤線の入ったマントを羽織り、黄色のリボンの下がった角帽をかぶっていた。 クリスチャンなのであろうか、宗教の自由、ゆるやかなベトナム共産主義を感じさせる。

夕暮れには最大のマーケット (ベンタイン市場)へ行った。Photo_7 とてもでかい市場で、店の数は2000近くあるそうで、衣類、手芸品、アオザイなどいろいろな店がひしめいていた。 街にも店が軒を連ねているが、この巨大な市場でも沢山の店がみな元気にやっている。 ベトナム経済の潤いを感じる。 われわれはその一角果物屋さんPhoto_8でマンゴー、パイナップルを買って、そこで切ってもらい食べた。ドラゴンフルーツ・ランプータン・ドリアンなどけばけばしい果物が目についた。新しい果物は、とても美味しかった。Photo_9

街は雑貨商、食料品店などが軒並み続いているが、 店の外の椅子に子供づれ家族が夕食をとっているを目にした。 ベトナムでは外食が多いそうだ。

 夜はベトナム料理の店へ。 「Com Nam Viet」:

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ベトナムのおにぎりという名前のついているお店で、米で作ったもの(わんたん、うどん、パイ皮、はるまき)が多かった。 日本人の口にとてもよく合い、美味しかった。 えびと野菜のライスペーパー巻き、ベトナム風あげ春巻き、おにぎりご飯などなどなどあったが、タレがいろいろとあって本当に美味かった。

今回の旅はツアーパックではなく、団体個人旅行であったので、美味しい料理店に案内してもらえ、最初から最後まで舌鼓がうて、美食の旅でもありよかった。

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食事を案内してくれたHao

ちゃん、ホーチミンの観光案内をしてくれたTrangちゃんは日本語を勉強しているベトナムの娘さん達だが、それらの料理は全部自分で作れるという。味も中々なこれらの料理をお母さんから習ったといっているが、ベトナム人には食通が多いのであろうか。

2日目 ホーチミン観光をしてハノイへ

 2日目はメンバー全員、派手なベトナム国旗(赤に星)のシャツを着て、人力車(ベトナム語でシクロという)に乗って市内観光をした。 シクロはほぼS_21日借り切って、S ひとり1000円だった。 シクロは安いようだが、一般にはこ のシクロぼったくりが多く危険なんだそうだ。  50円といっておいて、1万円をぼられたという人もあるそうで、個人では乗らぬほうがよいとのこと。 街を一人で歩いていて、2度ほど誘われた、注意、注意。

 ホーチミンはハノイから南へ1730キロ離れたベトナムの最大都市である。ホーチミン市の人口は約600万人とされ、商業の都市。 Photo_18 最近ハノイが大きくなってきたので、第2の都市になったようだが、ホーチミン市はベトナムの大きな経済通商の中心であり、巨大なビルや貿易センター、事務所、娯楽施設、高級ホテルなど多数が建てられており、ハノイと比べると格段と街、都会らしい。 ホーチミンは1859年にフランスによって占領され、1862年のサイゴン条約でフランスによる支配となった。 その際にサイゴンは開港され、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速にベトナムは発展した。ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けて数多くの西洋風の建築物が造られ、サイゴンは「極東の真珠」とか、「東洋のパリ」 と呼ばれる程に垢抜けしていった。 1954年のジュネーヴ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、フランス撤収、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府となり、サイゴンが引き続き首都とされた。 そしてベトナム戦争、1975年4月30日に戦争が終結すると、この街はベトナム人民軍の支配下に置かれ社会主義体制となるが、それを望まないものが多数出て、周辺国へ難民となって出て行った。 1976年、ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街は独立戦争の指導者ホー・チ・ミンの名を冠してホーチミン市となった。

  2日目の午前中、人力車シクロに乗って、サイゴン教会、中央郵便局、独立記念館、戦争証跡博物館などを見物した。S_5S_4

途中人民委員会庁舎があったが、フランス統治下で建てられたもので綺麗な建物、前にはホーチミンの騎馬像がある。 この庁舎は1908年イタリアルネッサンス様式で建てられたもので、中には素晴らしい調度品があるのだそうだが、内部は見学できない。 フランス統治を象徴する観光スポットである。

  その後、フランス的な建物であるサイゴン教会(正式名称:聖母マリア教会)と郵便局を

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S_7観光した。 教会は、19世紀末に建てられたゴシック建築物であり、必要な建築資材が全てフランスから持ち込まれ、ノートルダムを模倣して作ったという。 まさにヨーロピアンな雰囲気。 御一行さまここで一礼。  

そして教会の前には聖母マリアの像があって、お隣りにはこれまたフランス調のS_9S_8S_10中央郵便局。 郵便局の中はドーム型の天井に飾りのついた柱、床のタイルもなかなか魅力的であった。

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  つぎに観光したのは統一会堂(旧名:独立宮殿)である。 1868年フランスによって建築が始められ、第2次世界大戦終結1945年までフランス総督により使用された。 1955年フランスが撤退し、ベトナム共和国(南ベトナム)成立した後には「独立宮殿」と銘々され、大統領府、官邸として使用された。 そして1976年ベトナム戦争終結しベトナム社会主義共和国が成立した後には「統一会堂」と改名され、一部の部屋は国際会議に使用されたが、博物館となり大統領執務室などが一般公開されている。 S_12S_15S_16

 

 ホーチミンで見ておかなければならぬ観光スポット「戦争証跡博物館」へ行った。 日本の原爆ドームといったところであろうか、生々しく戦争の傷が残され展示されていた。 屋外には戦争で使われた戦闘機、ヘリ、タンクなどが展示され、屋内には砲弾があり、また枯葉剤被災地域の地図だとか、痛々しい手足のない子ども写真が沢山展示されていた。 下の写真はなんだと思われますか? 丸くなっているところに首を入れて持ち上げられるS_17ギロチンだ。 南ベトナム政府が南ベトナム解放民族戦線の人たちがこれにより処刑されたそうだ。  こういった戦争の痛ましさが数々展示されていた。 どんな事情であれ、戦争はあってはならぬものと痛感させられる。 このミュージアム、英語では『AMERICAN WAR CRIMES MUSEUM』(アメリカ戦争・犯罪博物館)と書いてある。 アメリカ人の観光客が多く目についたが、どう感じていようか。

S_20S_19S_18ホーチミン(サイゴン)での昼飯はベトナム風お好み焼き。 からからに揚げたライスペーパー(黄色)に具材がのせられており一緒に頂くもの。タレにつけて食べるが、タレが写真のように多数用意されており、選んで味付けとても美味しかった。

  人力車での観光を終えてホテルへ戻り、近くのカフェへ行った。 

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市民劇場の裏にある「ハイランドコーヒー店」で、ホロの下でコーヒーを味わった。 ベトナムはブラジルに次ぐ世界第2位のコーヒー輸出大国なのだそうだ。 カフェインが多くて苦味の強いロブスター種なのだそうだが、とても濃く甘味がある。 大きなパラソルの下で、団体さん12名がコーヒーを味わっていたが、30分ほどのもの凄いスコールにあった。 急遽、みな屋根のあるところに駆け込んだのだが、12名はバラバラとなり、ベトナム人との相席になった。 そこでどの席も、ベトナム人との間にいろいろな話で花が咲いた。 ベトナム人はなかなかフレンドリー、友好的。 ベトナムによい印象をもてた。

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  2日目PM2:00ホーチミン発、PM4:00ハノイ着、ベトナム航空で1700Kmを北へ2時間移動した。 空港には戦時を思わせるかまぼこ兵舎、格納庫がまだ残っている。 国民は戦争の痛みを忘れないでいるようだ。 ベトナム航空のスチュワーデスさんのユニフォームは美しい。 ベトナム民族衣装アオザイ(ベトナム語で長い上着の意味、正式には絹で作られるが庶民は麻を着ている)、ヒラヒラが魅力的である。(写真は借用)

  ハノイへ着いて最初の夜の食事は、ハノイの大きな湖ホァンキエムの湖畔にあるレストラン(DINH LANG)での宮廷料理。 S_29

民族楽器による生演奏を聞きながら、揚げビーフンのかぶせてあるサラダ料理、牛肉ではない肉料理数々。S_31S_25 

ベトナムでは犬のステーキなどが 名物で食べたかったのだが、仲間に犬をっているもの多く、わたくしの念 願犬料理は旅行中かなわなかった。 そこでは歌い手さんと一緒に日本の歌をみんなで合唱、楽しい晩餐であった。 そしてその余韻さめやらずうちに場所を変え、その夜もまたカラオケへ行って遅くまで興じた。 S_30S_28

2011.01.16

3日目 ホーチミン廟とHOAさんの学校で敬礼

ベトナム3日目は、ホーチミン廟へ行った。Photo_20Photo_19Photo_21ホーチミンの遺体を安置する巨大なお墓である。 入り口で写真機やバッグを預け、ボディーチェックをうけて場内へ入り(半ズボンもノースリーブもダメ)、写真にある神殿ような建物の中にある墓地へと進んだ。 薄暗い部屋に等身大のミイラとなったホーチミンが、衛兵に守られてガラスケースの中に安置されていた。 その広大な境内には、ホーチミンが実際に住んでいた家だとか、1945年に独立宣言を読み上げた広場がある。 いろいろな業績を学べる博物館もあった。 中央墓地の左の大きな赤看板には、黄色の文字で「THANG LONG」(太陽は登る)と書かれていた。

ホーチミンは中国からインドシナにかけ広くマルクス主義を指導したが、汚職がはびこりやすい共産主義において、悪事に手をそめず高潔な人柄であって人民にもそれを説いたので、政治思想はともかくも国民から尊崇を集めている。 ホーチミンは79歳で心臓発作のため死去したが、遺書に火葬し、北部、中部、南部に埋葬するよう書き残されたことなどもあって、ベトナム全土で崇拝されている。

ハノイ観光では、200人の生徒をかかえる日本語学校の経営者HOAさんにいPhoto_22Photo_23ろいろとお世話になった。 ホーチミン廟見学の後、HOAさんの学校を訪れHOAさんの学校経営について、それと今回の旅行のリーダ、われわれのクラスメイト・ホリさんのベトナムでの活躍の話を伺った。 ホーさん(ホーチミンの愛称)ならず、ホリさんも20年間、ベトナム人へ職業を紹介したり、日本語を教えたりでベトナムへ貢献。 そして今回われわれの旅行も、楽しく、そして美味しく、滞ることないようにと、ホリさんにアレンジいただいた。 ホリさん、ホアさんには只々感謝、感服である。Photo_24Photo_25Photo_26

昼食は屋外にテーブルが多数ある店、BIA HOIへ行って、ヤギや牛肉、やっこ豆腐、サラダなどを頂戴した。 写真のビールをもつ2人の青年は、HOA校長先生と

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われわれを車で案内してくれたドライバーさんだ。 ベトナムでは飲酒運転が禁止になってなく、ドライバーさんもかなり飲んでいた。 食事の話のところでチョッと失敬なのだが、写真の長いステンレスのものは何だと思われようか。 ビールをたくさんご馳走になって、そちらへわたくしもお邪魔をした。

その日の午後はチョッと町を散策。 ベトナムの街は何せバイクが多い。

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小学生を迎えに来るお母さんが、バイクを4人乗りで運転しているのには驚いた。 3人乗りは当たり前。 写真のように大きな荷物を積んで走るバイクもあった。 信号がないので道路を横断するのには勇気がいる。 しかしそんなとき、どのバイクも一斉に停まってくれる。 ベトナム人Photo_28の心の優しさ、ここでも感じた。 バイクのシェアは日本製が9割で、ホンダが5割強、ついでヤマハ、カワサキと人気がある。 10年ほど前、中国からHunda」との名前で、Hondaのコピー品が出回わり日本メーカは手を焼いたが、中国製は故障が多く、今は故障の少ない日本製品にシェアが復帰したそうだ。

3日目の夜の食事は「NGON(うんごーん)」店。 屋内に屋体形式の店がずらりとあって、食べたいものを指して注文できる店、われわれはお任せオーダー。 ライスペーパーに野菜を巻いたり、ベトナムのライスぬーどる、名物うどん「PHO(フォー)」などを味わった。 フォーはきしめんのように太くて、こしは余りない。 

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ラーメンのように細いものは、ミーという。 ベトナムはフィリピンについで世界第2位の米の輸出国。 今回旅行中われわれが食べているのは日本と同じ短米だが、輸出は長米でイラクやアフリカなどへが多いそうだ。 ライス系の食事が多かったので、口にあった。

 

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ハノイの街でおどろいたのは、バイクの多さと、屋外の電柱、電線が写真のようにあったこと。 それに建物もブロック組立てで恐い。 写真のビルがホテルなのだから驚き。 道路に標識がなく、小さな店が雑居する通りばかりという感じなので、キャリア20年のホリさんも道に迷うとおっしゃる。 建築、インフラ整備が遅れている。 工事もところどころでは見るが、中国、日本のようにはない。

4日目 戦争障害児刺繍とハロン湾観光

4日目は刺繍のショッピングとハロン湾観光。

ハノイから240Km、4時間かけてハロン湾へ。 ハノイの北東、中国との国境付近にある。 左へ行けば中国とのガイドもあった。 途中高速道路もあって、自転車、バイクも通行していた。 高速道路で驚いたのは、向こうからの車がこちら対向車線に入って車を追い越してくる。 恐ろしいったらない。 中央分離帯のない高速道路には肝が冷えた。 ベトナム旅行には保険をたっぷりかけて来てもらう必要があると、伝えたい。

ハロン湾へ向う途中、トイレ休憩を兼ねて刺繍工房兼みやげ物店に立ち寄った。 

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ホンゴック人道支援センターというところで、40年前のベトナム戦争で使われた枯葉剤の影響で身体になんらかの障害をもった大勢の少女達が刺繍品を作っている。 どの子もみただけではわからぬ程度の障害ではあるが、大勢で黙々と励んでいる姿を見ると頭が下がる。 小さなもの、大きなものいろいろと、とても素敵な刺繍がたくさん出来ていた。 わたしもひとつ購入したが、このような施設のあることが世界中に報じられ、彼女達の未来が開けたらなと思いつつあとにした。

そしていよいよ ベトナムの随一の景勝地ハロン湾に到着。

ハロン湾は全長120Kmのところに2000近くもの島がある。 

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その島々が中国の桂林のように切り立った高い岩壁でできており、絶景この上ないといったところ。 世界遺産である。 到着してまず驚いたのが、船の数の多さ。 「ジャンク船」と呼ばれる船が200隻以上あるという。 さながら赤壁の戦いを思わせる、船の多さ、船の色、形に圧巻。 そして大きな大きなチャーター船にわれら団体さんは貸切で乗り込んだ。 1時間ほどゆくと、海の桂林といった島々が両手に見られるようになるが、Photo_39その途中スピードで航行する船に、小さな船(写真参照)が寄って来て横付けされ、小さな小さな女の子がこちらの船に乗せられ、われわれに果物を売り出す。 交通ルールも航行ルールもあったものではないが、少女は可哀想だが可愛かった。

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海の桂林は絶景、みな感動した。 石灰岩でできた尖った島々が林立。 そして1時間ほど行ったところで捕獲魚を泳がせている大きな生け簀のある島に上陸。 カブトガニ、サメなどいたが、そこで高級魚クエ釣り、船頭さんに調理してもらった(写真)。 船内での食事は、しゃこあり、クエあり、えびあり、イカありで、海の幸を満喫した。 クエのお値段は1,900,000ドン(9000円)であった。 船のチャーター料はそれよりも安いのに、贅沢食で堪能??  

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これらの島々のいくつかには鍾乳洞があった。そのひとつドラゴン鍾乳洞へ行った。 島の中全体が鍾乳洞になっているかのように鍾乳洞の天井は高い。 ライトアップされ幻想的だった。

5時間のクルーズの後またバスの旅。 夜遅くても、バスが長くても、みな元

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気。 長時間バスの中、動く辞書さんが数人いて、ワイワイがやがや話しっ放し、楽しかった。 そしてその夜も、夜遅くまで、ジャズ喫茶、カラオケへ。 ジャズを歌う者、ドラムを叩ける者がいて、ジャズ喫茶では大勢の外人を前に、元気なサムライ達は燃えた。 写真は別会場でのその予行演習風景。

5日目 買い物 と マッサージ・打上パーティ

5日目の最後の日は買い物と街の散策、ボディーマッサージ、そして打上パーティ。

3日間お世話になったSilkPathホテルは、SilkpathDscf0116旧市街の便利なところに位置する今年3月にオープンしたばかりの四つ星ホテル。 少々狭い感じはしたが、二人部屋を一人料金でお世話になったので、幹事さまには感謝感謝。 

この日はゆっくり朝10時に出立、そしてコーヒー店で眼を覚ました後、ChoDongXuan(ドンスアン)市場へ行った。 Dscf0150は食料品や日用品雑貨がメインで2階は衣料品が中心。 ホーチミン市のベンタイン市場と同様、観光客をしつこく勧誘することはない。 ベトナムのお土産のトップ10は、Tシャツ、ナプキン、陶器、アオザイ(ベトナム民族衣装)、織物(手工芸品)、コーヒー、漆器工芸品、アクセサリー、版画、竹細工、籐細工などなど。 おじさん達はコーヒー、食料品を購入していたようだった。

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ボアンキエム湖の北に広がる旧市街、その北部にあるハノイ最大のマーケットである。 1階

ドンスアン市場のところでベトナムのお巡りさんを見たが、余り見かけない。 凶悪犯罪は少ないようで、日本に殺人事件が多いのはなぜなのかと、ベトナム人に問われたという人がいた。 しかし、スリ、ぼったくりは多いようで、一人での行動は危険だという。

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昼食は例によって「フォー」のお店へ。 フォーの美味しい食べ方は、いろいろな具や調味料を入れてアレンジし、香草や唐辛子、味噌タレを入れて食べる。 そして一緒につけられているライムを搾って食べる。 われわれは醤油の濃い、ラーメンとか日本そばに慣れているので、薄味にちょっともの足りなさを感じた。加える調味料が少なかったのかも知れないが。

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旅行の最後はボディーマッサージ(SPAセンター)。 蒸し風呂に入って身体を清めた後、全身に油を塗ってのマッサージ。 20歳前後の女性が、手脚の指先から肩・背中・腿、全身を強く押してくれて実に気持ちが良い。 ベトナムならではの癒しのエステということだが、2時間、ひとり2800円、本当にすっきり、ベトナム旅行を清められた。

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そして最後の晩餐は伝統的ベトナム料理店(TRUC BAC)で鍋料理。 日本料理的雰囲気、いたれりつくせりのアレンジであった。 ご一行様は一瞬たりとも話がとまらない賑やかなみなさんだった。 Dscf0170写真左から、HOA校長先生、トムさん、タムさん、フタミ、ドラマーホッタさん、エーパン、トヨさん、おっちゃん、サブちゃん、本編集者のコー、そしてお世話になったホリさん。 トムさんと漫才コンビであった、ジャズシンガーのヨウちゃんはこの晩マレーシアへ先発してしまって不在。 トムさん、ようちゃんの博学漫才に、エーパン、サブちゃんが加わって、また周りもところどころ口をはさんで、賑やかな賑やかな御一行さまであった。

ベトナムにヨー(ベトナム語で乾杯)!!!

  そしてベトナム最後の夜は、キエム湖の夜景を眺めながら走ってのカラオケくらぶ。 またまた、マタマタからおけくらぶ。 こちらで応援歌2~3曲を歌い、和を深めあった。 またみんなでベトナム・・・へ来ようと。 本当にホリさん、有り難うございました。

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