2日目はメンバー全員、派手なベトナム国旗(赤に星)のシャツを着て、人力車(ベトナム語でシクロという)に乗って市内観光をした。 シクロはほぼ
1日借り切って、
ひとり1000円だった。 シクロは安いようだが、一般にはこ のシクロぼったくりが多く危険なんだそうだ。 50円といっておいて、1万円をぼられたという人もあるそうで、個人では乗らぬほうがよいとのこと。 街を一人で歩いていて、2度ほど誘われた、注意、注意。
ホーチミンはハノイから南へ1730キロ離れたベトナムの最大都市である。ホーチミン市の人口は約600万人とされ、商業の都市。
最近ハノイが大きくなってきたので、第2の都市になったようだが、ホーチミン市はベトナムの大きな経済通商の中心であり、巨大なビルや貿易センター、事務所、娯楽施設、高級ホテルなど多数が建てられており、ハノイと比べると格段と街、都会らしい。 ホーチミンは1859年にフランスによって占領され、1862年のサイゴン条約でフランスによる支配となった。 その際にサイゴンは開港され、1887年に成立したフランス領インドシナのもとで急速にベトナムは発展した。ベトナムがフランスにより植民地として占領されている間、この街はフランスの影響を受けて数多くの西洋風の建築物が造られ、サイゴンは「極東の真珠」とか、「東洋のパリ」 と呼ばれる程に垢抜けしていった。 1954年のジュネーヴ協定によりベトナムが公式に北ベトナム(ベトナム民主共和国)と南ベトナム(ベトナム共和国)に分断されると、フランス撤収、アメリカ合衆国の影響下でゴ・ディン・ジエム大統領に率いられた南ベトナム政府となり、サイゴンが引き続き首都とされた。 そしてベトナム戦争、1975年4月30日に戦争が終結すると、この街はベトナム人民軍の支配下に置かれ社会主義体制となるが、それを望まないものが多数出て、周辺国へ難民となって出て行った。 1976年、ベトナム社会主義共和国が成立したことにより、サイゴンの街は独立戦争の指導者ホー・チ・ミンの名を冠してホーチミン市となった。
2日目の午前中、人力車シクロに乗って、サイゴン教会、中央郵便局、独立記念館、戦争証跡博物館などを見物した。

途中人民委員会庁舎があったが、フランス統治下で建てられたもので綺麗な建物、前にはホーチミンの騎馬像がある。 この庁舎は1908年イタリアルネッサンス様式で建てられたもので、中には素晴らしい調度品があるのだそうだが、内部は見学できない。 フランス統治を象徴する観光スポットである。
その後、フランス的な建物であるサイゴン教会(正式名称:聖母マリア教会)と郵便局を
観光した。 教会は、19世紀末に建てられたゴシック建築物であり、必要な建築資材が全てフランスから持ち込まれ、ノートルダムを模倣して作ったという。 まさにヨーロピアンな雰囲気。 御一行さまここで一礼。
そして教会の前には聖母マリアの像があって、お隣りにはこれまたフランス調の

中央郵便局。 郵便局の中はドーム型の天井に飾りのついた柱、床のタイルもなかなか魅力的であった。
つぎに観光したのは統一会堂(旧名:独立宮殿)である。 1868年フランスによって建築が始められ、第2次世界大戦終結1945年までフランス総督により使用された。 1955年フランスが撤退し、ベトナム共和国(南ベトナム)成立した後には「独立宮殿」と銘々され、大統領府、官邸として使用された。 そして1976年ベトナム戦争終結しベトナム社会主義共和国が成立した後には「統一会堂」と改名され、一部の部屋は国際会議に使用されたが、博物館となり大統領執務室などが一般公開されている。 


ホーチミンで見ておかなければならぬ観光スポット「戦争証跡博物館」へ行った。 日本の原爆ドームといったところであろうか、生々しく戦争の傷が残され展示されていた。 屋外には戦争で使われた戦闘機、ヘリ、タンクなどが展示され、屋内には砲弾があり、また枯葉剤被災地域の地図だとか、痛々しい手足のない子ども写真が沢山展示されていた。 下の写真はなんだと思われますか? 丸くなっているところに首を入れて持ち上げられる
ギロチンだ。 南ベトナム政府が南ベトナム解放民族戦線の人たちがこれにより処刑されたそうだ。 こういった戦争の痛ましさが数々展示されていた。 どんな事情であれ、戦争はあってはならぬものと痛感させられる。 このミュージアム、英語では『AMERICAN WAR CRIMES MUSEUM』(アメリカ戦争・犯罪博物館)と書いてある。 アメリカ人の観光客が多く目についたが、どう感じていようか。


ホーチミン(サイゴン)での昼飯はベトナム風お好み焼き。 からからに揚げたライスペーパー(黄色)に具材がのせられており一緒に頂くもの。タレにつけて食べるが、タレが写真のように多数用意されており、選んで味付けとても美味しかった。
人力車での観光を終えてホテルへ戻り、近くのカフェへ行った。
市民劇場の裏にある「ハイランドコーヒー店」で、ホロの下でコーヒーを味わった。 ベトナムはブラジルに次ぐ世界第2位のコーヒー輸出大国なのだそうだ。 カフェインが多くて苦味の強いロブスター種なのだそうだが、とても濃く甘味がある。 大きなパラソルの下で、団体さん12名がコーヒーを味わっていたが、30分ほどのもの凄いスコールにあった。 急遽、みな屋根のあるところに駆け込んだのだが、12名はバラバラとなり、ベトナム人との相席になった。 そこでどの席も、ベトナム人との間にいろいろな話で花が咲いた。 ベトナム人はなかなかフレンドリー、友好的。 ベトナムによい印象をもてた。
2日目PM2:00ホーチミン発、PM4:00ハノイ着、ベトナム航空で1700Kmを北へ2時間移動した。 空港には戦時を思わせるかまぼこ兵舎、格納庫がまだ残っている。 国民は戦争の痛みを忘れないでいるようだ。 ベトナム航空のスチュワーデスさんのユニフォームは美しい。 ベトナム民族衣装アオザイ(ベトナム語で長い上着の意味、正式には絹で作られるが庶民は麻を着ている)、ヒラヒラが魅力的である。(写真は借用)
ハノイへ着いて最初の夜の食事は、ハノイの大きな湖ホァンキエムの湖畔にあるレストラン(DINH LANG)での宮廷料理。
民族楽器による生演奏を聞きながら、揚げビーフンのかぶせてあるサラダ料理、牛肉ではない肉料理数々。
ベトナムでは犬のステーキなどが 名物で食べたかったのだが、仲間に犬をっているもの多く、わたくしの念 願犬料理は旅行中かなわなかった。 そこでは歌い手さんと一緒に日本の歌をみんなで合唱、楽しい晩餐であった。 そしてその余韻さめやらずうちに場所を変え、その夜もまたカラオケへ行って遅くまで興じた。 
